杉原千畝スギハラチウネのあらすじネタバレ感想

映画『杉原千畝スギハラチウネ』を鑑賞しました。

海外でのタイトルは「ペルソナ・ノン・グラータ」だそうで、ラテン語で「好ましくない人物」という意味らしく、主に外交用語で「受入国がこの外交官は好ましくないと派遣国に通知する」といった意味なんだそうです。

杉原千畝はここ最近、世界の国を紹介するような番組で取り上げられるようになってましたね。

『シンドラーのリスト』でおなじみのオスカー・シンドラー同様に、迫害されるユダヤ人を救った日本人として、特にポーランドやリトアニアで有名な日本人です。

主演は唐沢寿明。

 

あらすじは、第二次大戦中に日本を救おうとし、なおかつ迫害されるユダヤ人を救った日本の外交官のお話です。

昭和30年、外務省にセンポという外交官を訪ねる外国人でしたが、そんな奴いないと言って追い返す外務省の場面から。

昭和9年の満州国で、列車内でソ連スパイから命を狙われる杉原千畝。

旧ソ連が新型列車の強奪に及ぶも、軍と協力しあった杉原が未然に防ぎますが、事前の話し合いとは違って、軍はソ連兵たちを射殺します。

それまで諜報活動を得意をしており、モスクワ赴任を所望していましたが、今回の件でやりすぎたと思われ、一時帰国の途に。

昭和14年、海外赴任が命ぜられますが、赴任地はリトアニア。

領事館を新規設置にあたっての最初の日本領事となります。

助手としてドイツ系リトアニア人とポーランド人運転手を雇うことに。

活動の中で、ソ連がヨーロッパ分割案を推し進めようとしていること、リトアニアへ侵攻することに気づきます。

昭和14年12月、ユダヤ教パーティで国を追われたポーランド人ど知り合い、ドイツ兵の残虐さを聞かされます。

昭和15年、リトアニア国内ではソ連兵が支配を始め、アメリカ大使館が閉鎖され、日本領事館にも閉鎖の圧力が。

杉原にはポーランド人運転手から日本へのビザ発給、満州時代の仕事仲間のロシア女性からもビザ依頼などを請われます。

すでにヨーロッパではホロコーストが始まっており、多くの人が国外逃亡せねばならない状況でした。

領事館前には国外脱出を多くのリトアニア人やユダヤ難民がおしかけるように。

日本政府にビザ発給したいと打電するも、回答はNG。

杉原はどうにかしようという考えも、外交官生命や家族の命が危険だからダメと諭す運転手。

領事館閉鎖の二週間前、杉原はオランダ領事の考えを知ります。

オランダ領事は祖国がドイツに占領された今、少しでも国外脱出者の力になりたい、と。

妻役の小雪との会話もあって、すべてを捨てても、の決意を固めます。

翌朝、ビザ発給の手続きを始め、できる限り多くのユダヤ難民にビザ発給手続きをすすめます。

偽造パスポートとわかりながら、小さい子供二人連れの母親にも発給したり。

それらの行為は、外務省を相手にした詐欺と理解しながらも、手続きを進める杉原でした。

そして領事館閉鎖となりますが、ホテルの一室や駅などでビザ発給を続け、最後はドイツ系助手に託し、リトアニアを後にして次の赴任地ドイツへ向かいます。

別れ際、ドイツ系助手から、ゲシュタポからの問合せから匿ったこと、難民たちから「君だけは善きドイツ人」と言われ、心変わりしたことを明かされました。

昭和15年9月、ベルリンへに赴くも、三国同盟は間違っているとドイツ領事に進言したことで彼の怒らせ、東プロイセンのケーニヒスベルグに赴任させられます。

その頃、ビザ発給されたユダヤ難民はシベリア鉄道でソ連兵の略奪などに会うも、なんとかウラジオストクに到着。

しかし日本への船は定員を越えており、多くの難民は日本に渡れず、ウラジオストクの日本領事館は押し寄せる難民に苦慮していました。

領事は船長に相談し、領事が全責任を負うということで、難民を乗船させることに。

昭和16年3月、船は敦賀に無事到着しました。

同年5月、杉原はドイツの動きを探っていたためゲシュタポに追われたり、ソ連侵攻の動きを掴み領事に掛け合うも、政府に媚びる領事は相手にしませんでした。

同年12月、情報を漏らしたとして、ドイツは杉原に国外退去を勧告し、ルーマニアへ赴任することに。

空襲されるベルリン、何も動かぬ領事に杉原は「国力の乏しい国は無節操に逸るとどんなことになるのかを教えるべき」と掛け合い、領事から「この戦争どうなると思う?」と問われ「日本はアメリカに戦争を仕掛け、負けます。世界にこれまでにないほどの痛手を受けるでしょう、それは無数の人の命が失われるということ」と答えますが、領事は結局動きませんでした。

昭和18年2月、ルーマニアの杉原は、ドイツとソ連、日本からも狙われていました。

昭和20年5月、ドイツが降伏し、ダッハウの強制収容所をアメリカ軍日系人部隊が解放します。

同年8月、ルーマニアのソ連軍捕虜収容所内で杉原は日本降伏を知るのでした。

そのとき受け取った、満州時代の仕事仲間のロシア人女性からの手紙。

「偽装婚だった夫は科学者で、アメリカに渡ったものの、軍事研究を担わされ、多くの日本人の命を奪うことになったが、それは反対に多くの人の命を救った」「誰もがあなたに感謝している、ありがとう」と書かれていました。

字幕で、杉原はリトアニアで2139枚のビザを発行した、との表示。

昭和43年10月、モスクワ。

冒頭で杉原を探していた人物が、28年間経ってようやく杉原と再会。

杉原は小さな貿易会社に勤務しモスクワで働いていました。

そして、今でも世界を変えたいと思っている、と語るのでした。

1985年1月、イスラエルから「諸国民の中の正義の人賞」受賞

1986年7月31 86歳永眠

2000年10月10日外務省が顕彰

彼が救ったユダヤ難民の子孫は、現在、世界中に4万人いる、と字幕が流れてエンディング。


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とても良く出来た映画だと思います。

丁寧に作り込まれた、という感じがしました。

僕は思うのですが、こうした「世界から尊敬される日本の偉人」みたいな人を、小学校のうちからもっと学ばせるべきだと思います。

杉原千畝しかり、明治時代に遭難した船を助けたことでトルコが親日国となったことなど、多くの話があるはずです。

ただ、今回の映画を見れば、杉原千畝と同様に、ウラジオストクの領事や輸送船の船長も功績を称えるべきだよなぁとも思います。

杉原千畝は映画では「世界を変えたい、日本を変えたい」と言っていましたが、個人的には、彼の理想する国がどういう国だったのか、ということを知りたいなぁと思いました。

映画『杉原千畝 スギハラチウネ』、日本人の誇りみたいなものを感じさせてくれる良い映画でした。

 

 


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