フランスのテロだけ追悼するのは偽善者みたいで

フランスのパリで起きた同時テロ、ホント、痛ましいニュースです。

サッカーの親善試合、フランスvsドイツが行われていたスタット・ド・フランスのすぐ近くで自爆テロがあったとのこと。

その後の調べでは、どうやら犯人グループはスタジアム内でのテロを試みたものの、入場ゲートで爆弾が発覚し逃走、警官に追われたことから自爆したそうです。

もし、狙い通りにスタジアム内で爆破していたら、と想像するだけでも大変恐ろしいです。

また、ロックバンドのライブ会場では3人の犯人がステージ上から銃を乱射、2時間半立て籠もって自爆、80人以上の犠牲者が出てしまいました。

はじめは「演出か?」と思っていた観客たちですが、隣の人が撃たれて血を流して倒れたのを見て、演出なんかじゃない、と思ったそうです。

 

今回の同時多発テロで130人以上が命を落としました。

それはホントに酷いことだし犯行は卑劣極まりないし、犠牲者の無念さを思うと怒りや哀しみに心が震えてしまいます。

 

そんななか、Facebookでは期間限定と銘打って、追悼の意味を込めてプロフィール画像にフランス国旗の透かしが施されるような仕組みを始めました。

僕の周りの「友達」も、その機能を使う人達が増えています。

でも、あえて言わせてもうらうならば、「それはちょっと違うんでない?」

たしかに悲惨な事件だし、残虐な犯行です。

 

ただ、世界では、中国共産党に殺戮される何万人ものウィグル系住民、イスラエルやイスラム圏内で毎日のように起こる自爆テロ、最近ではシリアから離れる難民もボートが転覆して命を落とす人がどれだけいることか。

そうした現実にはとくに反応を示さず、フランスで起きたテロには哀しみを表す。

追悼する態度を表すことが「流行りモノ」みたいに行動しているように映って、それが偽善者そのものに映って、なんとなく僕は嫌悪感を抱いてしまいます。

アメリカの学校で銃の乱射によって50人亡くなっても哀悼の心は生まれず。

バンコクでは20人がテロで亡くなったけど、それでも哀悼の心は生まれず。

ヨーロッパやアメリカで大勢のテロの犠牲者が発生したときしか生まれない偽善だな、と。

 

と、ここまでの話を友人にしてみたところ「やらないよりはやったほうがイイんじゃない?」と言われましたが、それこそ「流行りモノ」に乗っかってるだけだろ、と反論しましたが。

すると「じゃあ何もしないのか?」と聞かれたので、心静かに冥福を祈るだけだよ、と答えました。

そう、冥福を祈る姿を人さまに見せびらかすような態度、それが僕が最も嫌っていたんだなということに気づきました。

そんなわけで、人の死による流行りモノに乗っかる、なんてできるだけ避けて生活したいものだ、と思っています。


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