ハリルホジッチの経歴と評判とエピソード
サッカー日本代表監督にボスニア出身のバヒド・ハリルホジッチが決定のようですね。
旧ユーゴスラビアのボスニア出身ということで、日本サッカー協会はオシムにも意見を聞いたのだとか。
日本ではあまり馴染みの無い人物ですが、監督業としての栄光は輝かしいものであります。
97年からモロッコのクラブチームを2連覇、アフリカ王者にまで導きます。
次に指揮を取ったフランス2部のチームを優勝で昇格。
翌年、昇格1年目でフランスリーグ3位となり、年間最優秀監督に選出されました。
その後、パリ・サンジェルマンを率いたり、トルコリーグ、サウジアラビアリーグの監督を歴任。
2008年からはコートジボワールの代表監督に就任。
2010年南アフリカワールドカップを前に解任となります。
同年、クロアチアのディナモ・ザグレブを指揮しリーグ優勝。
2011年、アルジェリア代表監督に就任。
すると2014年のブラジルワールドカップで初のベスト16に進出したのでした。
決勝トーナメント1回戦では優勝したドイツと対戦、延長線までもつれ込みました。
その後トルコリーグで監督を務めましたが解任となり、現在はフリーのハリルホジッチだったのです。
ハリルホジッチ、色んなエピソードを持つ人物です。
92年のボスニア紛争では自宅前で銃撃戦が。
そのときすでに名門チームの監督をしていたハリルホジッチは仲裁に入りました。
「戦争になったら、みんなが敗者だ!」と叫びながら銃撃戦の真ん中に飛び込んだのです。
ところが銃撃戦は終わらず、あろうことか銃弾が命中、重傷を負ったのでした。
入院中、インタビューで戦争反対を訴えましたが、民族主義者から脅迫を受けることに。
その後、フランスに身を寄せましたが、自宅を焼き払われることとなったのです。
ディナモ・ザグレブの監督時代に住んでいたマンションの大家が、なんとあのミルコ・クロコップでした。
早くも「ハリルジャパン」なんて言われてますが、彼の愛称は「ヴァハ」なので「ヴァハジャパン」にしよう、という声もあります。
ちなみに南アフリカ大会のテーマソング「WAKA WAKA」の替え歌、「Vaha Vaha」が存在するそうです。
とにかく規律と礼儀を重んじ、特別待遇はしないという指導方針。
それ故、歴任したチームでは経営陣や選手とソリが合わず解任されたという、いわば頑固者です。
まあ、旧ユーゴスラビアの人たちって、だいたいそんな感じ気質ですよね。
日本代表では本田圭佑とうまくやっていけるか、が見ものです。
色んなフォーメーションや選手を自在に組み合わせるので、基本布陣を持っていないという特長があります。
ひょっとすると、あっと驚く代表起用の選手があるかもしれません。
ハリルホジッチの代表チーム、期待しましょう。
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