松代市の象山地下壕に行ってきた
長野県松代市の象山地下壕を見学してきました。
象山(ぞうざん)というのは山の名前で、文字通り象のような形をしていることから命名されたそうです。
すぐ近くには舞鶴山、皆神山という山もあって、そこに象山を加えた三山に、大規模な地下壕が掘られました。
第二次世界大戦末期、本土決戦を想定した政府だか軍の判断で、この三山の地下に、それぞれ宮内庁、大本営、政府機関を移すことを前提に掘られた地下壕とのこと。
結局は実際に移すことなく終戦を迎えたわけですが。
現在は、舞鶴山地下壕は気象庁の地震観測所として利用し、見学することはできません。
見学可能なこの象山地下壕は、当時の18あった省庁と、当時のNHKとNTTが設置される予定だったそうです。
入場はなんと無料。
入場時にヘルメットをかぶることが義務化されています。
「不戦の誓い」というのがまたイヤな感じです。
入場口は実際は「裏口」とされた狭い入口で、かがみながら進みます。
20の省庁や施設が移される予定で、並行に20の縦長の坑道が掘られ、それらを突き刺すように連絡通路で繋げられるという構造です。
ほとんどの坑道は立入禁止のようですけど。
強力な岩盤のため、ダイナマイトと手掘りを繰り返して掘っていき、完成まで75%ほど掘ったところで終戦を迎え、放置された状態です。
交代勤務で24時間掘られ続け、2万人もの労働者が従事したとされ、日本人と朝鮮人がほぼ半分づつだったとのこと。
突貫工事だったため、作業中に亡くなった作業員がいても死体はそのまま。
終戦後、GHQが視察に来るため慌てて遺体の回収に当たったとも言われています。
しかし、全ての資料は終戦時に軍によって処分されてしまい、詳細はほとんど言い伝えで残っているのみ。
昭和19年11月11日11時11分に工事が始まったため、毎年11月11日には朝鮮人が主体となって慰霊祭のようなものも開催されているようです。
ガイドのおばさんの説明を聞きながら見学したわけですが、後になってWikipediaを見てみると、結構違ってます 笑。
特に朝鮮人労働者の扱いについて。
ガイドでは「半ば強制的に、あるいはウソで集められ、作業は過酷を極め、生活も困難だった」との説明でしたが、Wikipediaでは「けっこうな待遇で、日本人労働者よりも厚遇だった」とあります。
また、ガイドのおばちゃんは「東条英機憎し」の談話も織り交ぜ、最終的には、反戦に落とし込むという説明。
正直僕は聞いていて辟易したんですけど。
入口の不戦の誓いっつう石碑がイヤな感じだし、なぜ朝鮮人労働者の肩ばかり持つのかわかりませんし、逆にこれだけ大規模で膨大な突貫工事を推し進めたパワーはある意味すごいことだし、最近では東条英機の功罪だって明らかになってきているのに。
ちなみに説明を聞いていた僕は、2万人もの坑夫が集まるんじゃ慰安所だってあったはずだよな、などと考えていました。
すると、やっぱり存在していたんですね。
ただ、「もうひとつの歴史館・松代」運営委員会というHPでのみ知ることができますが、このHP、完全に親韓反日な内容で、見るに値しません。
象山地下壕、僕は、昔の日本人の逞しさみたいなものが感じられた見学施設でした。
一度足を運んで、うがった見方でガイドさんの話を聞いてみるのが、一番の理解になるのでは、と考えています。
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